【10月31日号】 これからの原子力発電はどうあるべきか。原発を維持しなければ本当に日本社会が成り立たないかどうかの判断は非常に難しい問題だが、リスク管理の観点からは原発の危険性が明らかになったと言える。起こり得ないとされていた事故が現実に起こってしまったからだ。仮に政府が本気で脱原発を目指すなら、脱原発の目標と期限を決めることが最も重要だろう。目標と期限のない困難な仕事は、まず完成しない。ところが、困難な課題については解決方針を先延ばしし、冷静に議論を重ねるよりもむしろ土壇場の「空気」でなし崩し的に決まることが、わが国の歴史によく見られる。例えば太平洋戦争は、戦争の目標も終結期限も定めずに、勝算さえなく始まったことが明らかになりつつある。原発のようにリスクが高く、大きな政策課題でその轍を踏んではならない。脱原発は大きな撤退戦略とも言える。原発運転の継続を前提としないで安全管理技術を発達させるという難しい課題に挑戦しなければならない。撤退戦略で最も困難な任務である「しんがり」と腹を決めてこそ、その役に徹することができるのではないか。(月曜連載「自治体の防災危機管理」)
【11月1日号】 橋下徹前大阪府知事を代表とする地域政党「大阪維新の会」が提出した大阪府教育基本条例案に反対し、辞任の意向を表明している大阪府教育委員で立命館大学教授の_山英男氏が条例案策定までの経過を振り返りながら、その本質を分析している。校長の権限を強化することで、その校長を知事が直接、コントロールする。この政治介入によって、現行法令下にある教育委員会は死ぬ、と結論付けた。強引なトップダウンによる教育改革に対する焦り、いら立ち、あきらめ。寄稿文から“ハシズム”が感知できる。
【11月4日号】 東京大学先端科学技術センターは障害や病気のある児童・生徒にパソコンなどを無償で提供して大学進学や就職を支援する「DO-IT Japanプログラム」を展開している。その一環として、10月22日に東大で「障害のある子どもの高校入試を考える」シンポジウムを開催した。文科省は2007年に特別支援教育に切り替わった時に入試に関しても可能な限り配慮を行うよう関係機関に通知したが、都道府県教委のホームページを見る限り、配慮を明記しているところは少ないという。壁はとても高い。
【11月1日号】 小規模多機能型居宅介護と訪問看護の複合サービスがテーマの「在宅療養を支えるために(下) 一人ひとりと向き合う家族的関係」は、実際にこうした形でサービスを提供し、利用者のQOL改善に成功している事業所の様子を紹介する。しっかりした理念に支えられた運営であり、どの事業所でもうまくいくとは限らないが、今後のサービス導入に向けて貴重な実践例だ。混合診療の禁止が違法かどうか問われた訴訟で、最高裁判所が「適法」との判断を下した。しかし「ドラッグ・ラグ」問題など、裁判で決着したからよいというわけにいかない現状がある。患者の反応など関連記事をまとめた。10月前期の「社説拝見」は、「年金支給年齢引き上げと雇用確保」と題し、いよいよ議論が本格化した年金改革、社会保障改革や、たばこ増税などをめぐる各紙の論調を取り上げた。
【11月1日号】 連載中の「検証 租税判決から見た不動産の時価」では、多量のアスベストスラッジが埋設されていて除去費用も多額に上る土地の固定資産税評価額をめぐり争われたケース(佐賀地裁)を取り上げた。同地裁判決(2007年7月27日)では、固定資産課税台帳登録価格に当該除去費用が考慮されていない(減価されていない)ことに違法はないとの判断を示した。本稿では、不動産の鑑定評価においては地中埋設物の撤去費用相当額を減価して評価することが合理的である場合であっても、固定資産税の評価にはその考え方が受け入れられていないなど本質的な相違が見られることを指摘し、こうした本質的な相違の理由などについての裁判所の判断を詳説。さらに、今回の判決内容の検討を通じて、アスベスト以外のごみや産業廃棄物などが地中に埋設されている場合の固定資産税評価額と適正な時価との関連についても、同様の考え方が適用可能としている。
【10月31日号】 「なぜ今、『レーガン信奉』か」と題して、生誕100周年を機にレーガン元大統領の人物像などについてまとめた記事を掲載した。同記事は「4年前の2007年、バラク・オバマとヒラリー・クリントンの争いが佳境に入ったころ、ある討論会で司会者が質問をした。それは『ロナルド・レーガン元大統領と自分を比べてください』というものだった。2人は戸惑う様子もなく、レーガンを褒めた後、自分の政策がどれだけレーガンに近いかを強調した。不思議な光景だった。2人は民主党の大統領候補を争っていたはず。ところが、共和党所属だったレーガンに自分がどれだけ似ているか、を既に競っていたのだ。そして、もっと驚いたのは、その質問が出ることを予想し、答えを周到に準備していたことである。全米の44州でレーガンの名前を付けた公共施設が存在する。このことが示唆するのは、今の米国では、政党を問わずレーガンの功績を無視して選挙には勝てないという現状である。そして、レーガン生誕100周年の今年、大統領選挙に名乗りを上げたテキサス州知事で共和党のリック・ペリーは『自分こそレーガンの後継者である』と訴えて選挙戦を開始した。そこで、多くの人の記憶から消えつつあるレーガンの人物像を、今ここで取り上げたい。なぜなら『オブセッション(強迫観念)』とも思える今の米国の『レーガン信奉』と、同国が抱える根源的な問題は深く関わっているからだ」としている。
また、「小沢はこのまま消えるのか?」と題し、民主党元代表の小沢一郎氏を軸にした今後の政治動向に関する分析記事を載せた。同記事は「民主党代表選で3連敗、元秘書3人の有罪判決……。今や、その政治生命は完全に絶たれたように見える同党元代表・小沢一郎。多くのマスメディアは一斉に『小沢攻撃』を始めたが、果たして小沢はこれで表舞台から消えるのだろうか。結論から言えば、1990年代以降の疾風怒濤の政界において、常にキーパーソンであり続けた小沢の政治力を考えると、そう簡単には判断できない。一連の『小沢問題』に関しては、筆者も一人の国民として許し難いものがあるが、『政治力のある人間のところにヒトもカネも集まる』というのが政界である。今の民主党に小沢を超えるだけの政治力を持った人間がいるのかと問われれば、誰しも答えに窮するはずだ。最初に断っておくが、本稿は決して『小沢擁護論』を打ち出すことを意図したものではない。近頃、あまりに客観性を欠いた『小沢評』が出回っていることに疑念を持ったのが執筆の動機である」としている。